村山大島紬のおこり
武蔵村山市を中心とした狭山丘陵周辺地域は古代から人々が生活しており、市内の遺跡から古墳時代の紡錘車等が出土したことから、この地域では1500年以前から織物を生産していたことが推測されます。
この地域は水利が悪くそのため水田が少なく、畑も小石が多いやせた土壌であるために農閑期には原料の綿作や藍の生産が行われて織物が定着しました。
江戸中期まで農閑期を利用して自家用の木綿、麻、絹がわずかに織られていました。その起源については諸説がありますが、文化文政の頃に木綿絣が作られ出したようです。
幕末には生産も増加して明治の末期までには村山絣として木綿紺絣の大生産地になりました。
また明治中期頃、太織縞、黒紬、縞銘仙などの絹織物も生産されるようになり、大正初期より木綿から絹織物への転換が業界の変化に伴い行われ、本格的な大島式銘仙の研究と製織が開始されました。
昭和初期に現在の村山大島紬の技術が確立されました。昭和42年、東京都指定無形文化財に指定され、昭和50年に伝統的工芸品に指定されました。
織物組合事務所は昭和3年に建築され、平成13年武蔵村山市指定有形文化財に指定されました。
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平成31年2月1日現在
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